出典:gooニュース
土井利勝の資料展示 徳川重臣、槍鞘や家譜 没後380年 茨城・古河
江戸時代初期に徳川幕府の重臣として活躍した古河藩主の土井利勝(1573~1644年)の没後380年記念展が24日まで、茨城県古河市中央町の古河歴史博物館で開かれている。大坂の陣の武功で第2代将軍の徳川秀忠から賜った猿毛の槍鞘(やりざや)や、第3代将軍・家光が利勝の屋敷を訪れた際に馬をつないだ「駒つなぎの杉」で作った花生けなど、貴重な資料が展示されている。
今川家に育てられた徳川家康、信玄の側近になった真田昌幸… 戦国時代、他家に差し出す「人質」は投資とリスクマネジメントを兼ねた選択だった【投資の日本史】
この点の分析に関しては、戦国時代と織豊期の政治社会を専門とする柴裕之(東洋大学非常勤講師)の著書『徳川家康 境界の領主から天下人へ』(平凡社)や、中世史を専門とする黒田基樹(駿河台大学教授)の著書『徳川家康の最新研究 伝説化された「天下人」の虚像をはぎ取る』(朝日新書)に詳しい。両書によれば、『三河物語』が描く幼少期の家康に関し、明らかに史実と異なるのは以下の点という。
前田利長を見舞う徳川秀忠書状」
高岡市立博物館では昨年に続いて「前田利長宛徳川秀忠書状」を入手した(年未詳2月2日付)。高岡城にて病臥する利長に対する将軍秀忠の見舞状である。『加賀藩史料』第2編に収録されているが、出典は原本ではなく後世の編纂物で、しかも孫引きである(翻刻、筆写ミスもあり)。新発見となる貴重な史料を紹介する。
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出典:青空文庫
・・・野但馬守長晟は大御所徳川家康に戦いの勝利を報じた上、直之の首を献・・・ 芥川竜之介「古千屋」
・・・ その年の八月一日、徳川幕府では、所謂八朔の儀式を行う日に、修理・・・ 芥川竜之介「忠義」
・・・彼の徳川時代の初期に於て、戦乱漸く跡を絶ち、武人一斉に太平に酔え・・・ 伊藤左千夫「茶の湯の手帳」