承応・
寛文(1652〜1673)ごろ、
下総 (しもうさ) の
羽生 (はにゅう) 村にいたという
醜女 (しこめ) 。夫与右衛門に殺され、その
怨念は一族にたたったという。
歌舞伎や
浄瑠璃に
脚色され、近世演劇に累物 (かさねもの) という一系統を
形成している。
歌舞伎舞踊。
清元。本名題「色彩間苅豆 (いろもようちょっとかりまめ) 」。松井幸三作詞、初世清元斎兵衛作曲。
文政6年(1823)
江戸森田座で、「法懸松成田利剣 (けさかけまつなりたのりけん) 」の二番目序幕として
初演。
新内節。
義太夫節「
伊達競阿国戯場 (だてくらべおくにかぶき) 」などの
詞章を
転用したもので、「身売」「土橋」「法印場」の三段からなる。