かっさつじざい【活殺自在】
自分の思い通りに扱うさま。生かすも殺すもこちらの思うがままである意から。▽「活殺」は生かすことと殺すこと。「自在」は自分の思いのままである意。
かでんりか【瓜田李下】
人に疑念を抱かせるような言動は慎むべきであるという戒めの語。また、人に嫌疑を抱かせるような言動のたとえともなる。▽「瓜田」は瓜うりのはたけ。「李下」は李すももの木の下。「李下瓜田りかかでん」ともいう。
かとしへき【家徒四壁】
きわめて貧しいことのたとえ。もとは家の中に家財がなく、ただ四方の壁だけが立っている意。▽「徒」は「ただ」「…だけ」の意。「家いえ、徒ただ四壁しへきのみ」と訓読する。
かとらくしょ【河図洛書】
中国古代伝説上の図や文字の「河図」「洛書」。▽「河図」は伏羲ふっきの世に、黄河から現れた竜馬の背のうず巻いた毛の形を写したという図のこと。易えきの八卦はっかの基になったとされる。「洛書」は夏の禹王うおうが洪水を治めたとき、洛水らくすいという川から現れた神亀の背の文字を写したとされる図。『書経しょきょう』洪範篇こうはんへんのもとになったとされる。転じて、得ることが難しい図書のたとえともなる。「河」は黄河、「洛」は洛水という川。
かふくいふく【禍福倚伏】
福の中に禍が潜み、禍の中に福が潜むように、災いと幸せは順繰りにおとずれるものだということ。▽「禍福」は災いと幸い。「倚伏」は禍が福のもとになったり、福が禍のもとになったり、禍福が互いに因果的に生じること。「倚」は寄り添う、また、ちなむ、原因となる意。「伏」は潜む意。
かふくきゅうぼく【禍福糾纆】
災いと幸せは、より合わせた縄のように互い違いにやって来て、変転がきわまりないということ。
かぶんしょうけん【寡聞少見】
見識が狭いこと。また、世間知らずなこと。自分を謙遜けんそんするときによく用いる。▽「寡」は少ない意。「寡聞」は見聞の狭いこと。見聞きしてきたものが少ないということ。
かりょうびんが【迦陵頻伽】
美しい声のたとえ。また、声の非常に美しいもののたとえ。あるいはヒマラヤ山中にいる想像上の鳥の名で、まだ殻にあるときに美しい声で鳴くともいい、極楽浄土にすみ、比類なき美声で鳴く想像上の鳥ともいう。浄土曼陀羅じょうどまんだらの絵などでは上半身は美女、下半身は鳥の姿で描かれている。▽仏教語。梵語ぼんごkalavinkaの音写で、仏典では「好声鳥」「逸音鳥」「妙声鳥」などと訳されており、この鳥の比類のない美声を仏の声にたとえている。
かんざんじっとく【寒山拾得】
中国唐代中期の寒山と拾得の二人の高僧。二人とも奇行が多く、詩人としても有名だが、その実在すら疑われることもある。拾得は天台山国清寺こくせいじの食事係をしていたが、近くの寒巌かんがんに隠れ住み乞食こじきのような格好をした寒山と仲がよく、寺の残飯をとっておいては寒山に持たせてやったという。また、この二人は文殊菩薩もんじゅぼさつ、普賢ふげん菩薩の生まれ変わりといわれる。画題としてもよく用いられる。
かんしょうばくや【干将莫耶】
《中国の呉の刀工干将が呉王の命で剣を作るとき、妻莫耶の髪を炉の中に入れて初めて会心の作を得た。その二振りの剣のうち、陽を「干将」、陰を「莫耶」と名づけたという「呉越春秋」闔閭内伝の故事から》名剣...