出典:青空文庫
・・・途々、電信柱に関東大震災の号外が生々しく貼られていた。 西日の当るとこ・・・ 織田作之助「夫婦善哉」
・・・大正十二年関東大震災以前から既に地震学に興味をもっていたが、大震災の惨・・・ 寺田寅彦「工学博士末広恭二君」
・・・れで思い出したのは、関東大震災のすぐあとで小田原の被害を見て歩いたとき・・・ 寺田寅彦「静岡地震被害見学記」
出典:gooニュース
関東大震災朝鮮人虐殺の記憶、歌い継ぐ 杉並で6日「半月」コンサート
1923年の関東大震災で起きた朝鮮人虐殺の記憶を歌い継ごうと、在日コリアンの出演者らによる「101年目の『半月(パンダル)』ライブ・コンサート」が6日午後6時45分から、東京都杉並区の浜田山会館で開かれる。 コンサート名は震災と虐殺のあった23年9月、東京の空に浮かんだという半月に由来する。
関東大震災で国が朝鮮人学生の動向調査 虐殺から民衆運動の発展を警戒か
1923年に発生した関東大震災の直後、旧文部省(文部科学省)が「朝鮮学生救護部」を設置し、被災した朝鮮人学生の調査をしていたことを示す史料が残されていた。関東大震災では流言をきっかけに朝鮮人らが虐殺された。史料からは、当時の政府が朝鮮人学生に食料配布などの支援をする一方で、迫害が民衆運動に発展することを恐れ、警戒を強めていた様子がうかがえる。
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