出典:gooニュース
<独自>山崎の戦い敗北後に明智光秀の家臣が放火した遺構か 京都・周山城で赤い石垣出土
16世紀後半、戦国武将の明智光秀が丹波支配の拠点に築いた本格的山城「周山城(しゅうざんじょう)」(京都市右京区)の二之丸跡から、火災を物語る赤く変色した石垣が出土した。天正10(1582)年の山崎の戦いで光秀の敗退後、その家臣が城を焼いたとの記述とも一致し、調査した京都市文化財保護課は「記述を裏付けた遺構の可能性が高い」としている。
織田信長、伊達政宗、明智光秀……戦国時代の歌はいかなるのものか。歴史に残る様々な歌は、どんな思いで詠まれたのか?【後編】
言わずもがなやもしれぬが、この歌は明智光秀殿が信長様へ謀反を起こす決意を示す歌といわれておる。 5月の末に愛宕山にて催された連歌会にて詠んだこの歌は、まっすぐ受け止めるなら「今は雨の多い5月です」と平々凡々に聞こえるが様々な意味がこもっておるといえよう。
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