ほんあみ‐こうえつ【本阿弥光悦】
[1558〜1637]桃山時代から江戸初期の芸術家。京都の人。号、太虚庵・自得斎など。刀剣鑑定の名家である本阿弥家の分家に生まれる。書・陶芸・漆芸などにすぐれ、元和元年(1615)徳川家康より洛...
ほんいんぼう‐さんさ【本因坊算砂】
[1558〜1623]安土桃山・江戸初期の僧・囲碁棋士。京都の人。本因坊家の始祖。本姓、加納。幼名、与三郎。日海と称し、寂光寺の塔頭(たっちゅう)本因坊に住んだ。若年から碁・将棋の達人で、織田信...
ほんいんぼう‐どうさく【本因坊道策】
[1645〜1702]江戸前期の囲碁棋士。石見(いわみ)の人。3世本因坊道悦の門下に入り、4世本因坊を継いで、名人位に推される。碁聖と称され、布石理論や段位制を確立し、近代碁の始祖といわれる。
ほんごう‐しん【本郷新】
[1905〜1980]彫刻家。北海道の生まれ。高村光太郎に師事。新制作派協会彫刻部創設に参加。代表作に戦没学生記念像「わだつみのこえ」「氷雪の門」など。
ほんじょう‐しげる【本庄繁】
[1876〜1945]陸軍軍人。兵庫の生まれ。大将、男爵。関東軍司令官、侍従武官長、枢密顧問官。満州事変勃発時の関東軍司令官で、満州国の建国にも関与した。敗戦後に自決。遺稿に「本庄日記」がある。
ほんじょ‐たすく【本庶佑】
[1942〜 ]医学者。京都の生まれ。専門は分子免疫学。免疫系が多様な抗原を認識し効率的に排除するために重要な、抗体のクラススイッチと体細胞高頻度突然変異の仕組みを解明。これらに関与する酵素AI...
ホンタイジ【Hontaiji】
[1592〜1643]中国、清の第2代皇帝。在位1626〜1643。廟号は太宗。太祖ヌルハチの第8子。1636年、国号を後金から大清と改め、明の諸制度を採用するとともに八旗制を立てて国政を整備。...
ほんだ‐いしろう【本多猪四郎】
[1911〜1993]映画監督。山形の生まれ。特殊撮影監督である円谷英二(つぶらやえいじ)とのコンビで多くの怪獣映画を手がけ、ブームを巻き起こした。代表作「ゴジラ」「空の大怪獣ラドン」「モスラ」...
ほんだ‐こうたろう【本多光太郎】
[1870〜1954]物理学者・冶金(やきん)学者。愛知の生まれ。東北大教授・同大学総長。金属材料を研究し、KS鋼・新KS鋼を発明。文化勲章受章。
ほんだ‐しげつぐ【本多重次】
[1529〜1596]安土桃山時代の武将。徳川家康の家臣。通称、作左衛門。勇猛で知られ、鬼作左(おにさくざ)と称された。陣中から妻に送った「一筆啓上、火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ」の手紙は...
ほんだ‐しゅうご【本多秋五】
[1908〜2001]文芸評論家。愛知の生まれ。雑誌「近代文学」創刊に参加。創刊号巻頭で「芸術・歴史・人間」を発表。他に「転向文学論」「物語戦後文学史」「古い記憶の井戸」「志賀直哉」など。
ほんだ‐せいろく【本多静六】
[1866〜1952]林学者。埼玉の生まれ。東大教授。日本最初の林学博士。国立公園設立に尽力した。著「本多造林学」。
ほんだ‐ただかつ【本多忠勝】
[1548〜1610]江戸初期の大名。伊勢の桑名城主。三河の人。通称、平八郎。徳川家康に仕え、武勇をもって知られた。徳川四天王の一人。
ほんだ‐としあき【本多利明】
[1743〜1821]江戸後期の経世家。越後の人。通称、三郎右衛門。江戸に出て、数学・天文学・蘭学などを学び、諸国を歴訪して見聞を広め、重商主義的立場から貿易振興による富国策を説いた。著「経世秘...
ほんだ‐まさずみ【本多正純】
[1565〜1637]江戸初期の大名。宇都宮城主。三河の人。正信の長男。通称、弥八郎。父とともに徳川家康に信任され、幕府創業に活躍。家康の死後、将軍秀忠の怒りを受け、出羽に流された。
ほんだ‐まさのぶ【本多正信】
[1538〜1616]安土桃山・江戸初期の武将。三河の人。幼少より徳川家康に仕え、謀臣として活躍。のち、2代将軍秀忠の側近。「本佐録」の著者といわれるが未詳。
ほんま‐しろうさぶろう【本間四郎三郎】
[1733〜1801]江戸中期の豪商。名は光丘。本間家3代目。庄内藩の酒田で事業に成功し、藩財政に関与。また、私財を投じて最上川の治水や天明の飢饉(ききん)の救済を行った。