とくいつ【徳一】
平安初期の法相(ほっそう)宗の僧。徳溢・得一とも書いた。藤原仲麻呂の子といわれる。東大寺に住んだのち東国に移り、筑波山に中禅寺、会津に慧日寺を開いて布教。法華一乗を唱える最澄と再三にわたって論争...
とく‐おう【徳王】
[1902〜1966]中国内モンゴルの政治家。王公の家庭に生まれ、内モンゴルの自治権獲得運動に従事した。1939年日本軍の援助下に蒙古連合自治政府を樹立し、主席に就任。日本の敗戦後は反共運動を行...
とくおか‐しんせん【徳岡神泉】
[1896〜1972]日本画家。京都の生まれ。本名、時次郎。竹内栖鳳(たけうちせいほう)に師事。幽遠で静寂な画境を確立。文化勲章受章。
とくがわ‐いえさだ【徳川家定】
[1824〜1858]江戸幕府第13代将軍。在職1853〜1858。家慶の四男。生来病弱のため、政治は老中に一任。後嗣がなく、将軍継嗣問題が起きた。
とくがわ‐いえさと【徳川家達】
[1863〜1940]政治家。田安慶頼の三男。幼名、亀之助。明治元年(1868)徳川宗家を相続。同23年、貴族院議員となり、以後、貴族院議長・日本赤十字社社長などを歴任、ワシントン軍縮会議の全権...
とくがわ‐いえしげ【徳川家重】
[1712〜1761]江戸幕府第9代将軍。在職1745〜1760。吉宗の長男。生来病弱のため政務に耐えられず、側用人大岡忠光が権勢を振るった。
とくがわ‐いえつぐ【徳川家継】
[1709〜1716]江戸幕府第7代将軍。在職1713〜1716。家宣の四男。4歳で家督を相続。間部詮房(まなべあきふさ)・新井白石の補佐により、幕府刷新が行われた。
とくがわ‐いえつな【徳川家綱】
[1641〜1680]江戸幕府第4代将軍。在職1651〜1680。家光の長男。生来病弱のため、治政初期は保科正之・松平信綱らの老中が補佐し、後半は大老酒井忠清が実権を握った。
とくがわ‐いえなり【徳川家斉】
[1773〜1841]江戸幕府第11代将軍。在職1787〜1837。一橋治済(ひとつばしはるさだ)の長男。松平定信を老中に登用し、寛政の改革を行った。定信の失脚後はみずから政治を執り、ぜいたくな...
とくがわ‐いえのぶ【徳川家宣】
[1662〜1712]江戸幕府第6代将軍。在職1709〜1712。甲府藩主徳川綱重の長男。綱吉の養嗣子。柳沢吉保を退け、間部詮房(まなべあきふさ)・新井白石を重用して政治の刷新を行った。
とくがわ‐いえはる【徳川家治】
[1737〜1786]江戸幕府第10代将軍。在職1760〜1786。家重の長男。田沼意次(たぬまおきつぐ)が政治の実権を握り、商品経済の発展をみたが、他方、綱紀の退廃を招いた。
とくがわ‐いえみつ【徳川家光】
[1604〜1651]江戸幕府第3代将軍。在職1623〜1651。秀忠の二男。幼名、竹千代。家康・秀忠の遺志を継ぎ、武家諸法度・参勤交代の制などを整え、幕政の基礎を築いた。また、キリシタンを弾圧...
とくがわ‐いえもち【徳川家茂】
[1846〜1866]江戸幕府第14代将軍。在職1859〜1866。紀州藩主徳川斉順の長男。幼名、慶福(よしとみ)。将軍継嗣問題で井伊直弼(いいなおすけ)に推されて将軍となり、井伊の死後、皇女和...
とくがわ‐いえやす【徳川家康】
[1543〜1616]江戸幕府初代将軍。在職1603〜1605。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣氏五大老の筆頭となり、秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに...
とくがわ‐いえよし【徳川家慶】
[1793〜1853]江戸幕府第12代将軍。在職1837〜1853。家斉の二男。老中水野忠邦に天保の改革を断行させたが、急激にすぎて失敗。のち、外国勢力の圧迫による難局にあたり、阿部正弘を起用。
とくがわ‐ただなが【徳川忠長】
[1606〜1634]江戸初期の大名。徳川2代将軍秀忠の三男で3代将軍家光の弟。通称駿河大納言。兄家光にうとまれ、秀忠の死後自刃。
とくがわ‐つなしげ【徳川綱重】
[1644〜1678]江戸初期の甲府藩主。家光の三男。第6代将軍家宣の父。第5代将軍に擁立の動きがあったが実現しなかった。
とくがわ‐つなよし【徳川綱吉】
[1646〜1709]江戸幕府第5代将軍。在職1680〜1709。家光の四男。治政初期は堀田正俊を登用して文治政治に努めたが、正俊の死後、柳沢吉保を重用し、生類憐(しょうるいあわれ)みの令を発し...
とくがわ‐なりあき【徳川斉昭】
[1800〜1860]江戸末期の水戸藩主。藤田東湖らを登用して藩政を改革。尊王攘夷論者で、井伊直弼(いいなおすけ)と対立。安政の大獄で蟄居(ちっきょ)を命ぜられた。水戸烈公。
とくがわ‐ひでただ【徳川秀忠】
[1579〜1632]江戸幕府第2代将軍。在職1605〜1623。家康の三男。関ヶ原の戦いでは父の不興を買ったが、家康の死後はその遺命を守り、武家諸法度の制定など幕政の整備に努めた。
とくがわ‐みつくに【徳川光圀】
[1628〜1701]江戸前期の水戸藩主。頼房の三男。諡号(しごう)、義公。彰考館を設立して「大日本史」の編纂(へんさん)を始め、社寺の改革、勧農政策を推進した。中納言となり、その唐名黄門(こう...
とくがわ‐むせい【徳川夢声】
[1894〜1971]芸能家・随筆家。島根の生まれ。本名、福原駿雄。無声映画の弁士として名をあげ、のち、俳優や漫談家・司会者として活躍。巧みな話術を称賛された。
とくがわ‐むねたけ【徳川宗武】
⇒田安宗武(たやすむねたけ)
とくがわ‐むねはる【徳川宗春】
[1696〜1764]尾張藩第7代藩主。商業を重視し放任政策をとったため、8代将軍吉宗の享保の改革と対立、幕府から隠居させられる。著書「温知政要」は絶版処分。
とくがわ‐よしなお【徳川義直】
[1601〜1650]江戸初期の尾張藩主。家康の九男。尾張徳川家の祖。尾州61万石の領主となり、儒学・神道を重んじ、「類聚日本紀」「神祇宝典」などの撰述がある。敬公。→尾州家
とくがわ‐よしのぶ【徳川慶喜】
[1837〜1913]江戸幕府第15代将軍。在職1867〜1868。斉昭の七男。一橋家を相続。将軍継嗣問題では家茂に敗れ、安政の大獄では隠居謹慎を命じられた。桜田門外の変以後は家茂の後見職をつと...
とくがわ‐よしむね【徳川吉宗】
[1684〜1751]江戸幕府第8代将軍。在職1716〜1745。紀伊藩主徳川光貞の四男。紀州藩主から将軍となり、幕府財政の改革と幕政の強化につとめ、享保の改革を行った。
とくがわ‐よりのぶ【徳川頼宣】
[1602〜1671]江戸初期の紀州藩主。家康の一〇男。紀伊徳川家の祖。紀州55万石の領主となり、殖産興業・法典編纂に努めた。南竜公。→紀州家
とくがわ‐よりふさ【徳川頼房】
[1603〜1661]江戸初期の水戸藩主。家康の一一男。水戸徳川家の祖。水戸28万石の領主となり、水戸藩を創始。威公。→水戸家
とくさん‐せんかん【徳山宣鑑】
[782〜865]中国、唐代の禅僧。姓は周氏。初め律や唯識を学んだが、のち禅を学び、その修行は、徳山の棒と称されるほど厳格であった。諡号、見性禅師。→臨済の喝徳山の棒
とく‐そう【徳宗】
[742〜805]中国、唐の第9代皇帝。在位779〜805。代宗の子で、安史の乱後の財政再建のため、両税法を施行。書道に長じた。 清の光緒帝(こうしょてい)の廟号(びょうごう)。
とくだ‐きゅういち【徳田球一】
[1894〜1953]政治家。沖縄の生まれ。大正11年(1922)日本共産党の創立に参加。三・一五事件で検挙され18年間獄中にあり、第二次大戦後出獄して日本共産党を再建し、書記長に就任。昭和21...
とくだ‐しゅうせい【徳田秋声】
[1872〜1943]小説家。金沢の生まれ。本名、末雄。尾崎紅葉の門に入る。自然主義文学の代表的作家として活躍、大正中期以後は心境小説に秀作を残した。作「黴」「あらくれ」「仮装人物」「縮図」など。
とくとみ‐そほう【徳富蘇峰】
[1863〜1957]評論家。熊本の生まれ。本名、猪一郎。蘆花の兄。同志社中退後、自由民権運動に参加。のち民友社を設立、「国民之友」「国民新聞」を発刊し、平民主義を主張。日清戦争後は政府と結び、...
とくとみ‐ろか【徳冨蘆花】
[1868〜1927]小説家。熊本の生まれ。本名、徳富健次郎。蘇峰の弟。同志社中退後、民友社の記者となり、小説「不如帰」、随筆小品集「自然と人生」を発表して作家的地位を確立。のちトルストイに心酔...
とくなが‐すなお【徳永直】
[1899〜1958]小説家。熊本の生まれ。印刷工となり、上京して労働運動に参加。共同印刷争議の体験を「太陽のない街」に描き、プロレタリア作家としての地位を確立。他に「失業都市東京」「妻よねむれ...