ライエル【Charles Lyell】
[1797〜1875]英国の地質学者。「地質学原理」を著し、J=ハットンの学説を「斉一説」として発展させて提唱し、地質学会やダーウィンに影響を与えた。
らい‐きょうへい【頼杏坪】
[1756〜1834]江戸後期の儒学者。安芸(あき)の人。春水の弟。名は惟柔(ただなご)。字(あざな)は千祺(せんき)。別号、春草。漢詩・和歌をよくし、また、広島藩の儒官として教育・治政にも功績...
らい‐くにつぐ【来国次】
鎌倉後期の刀工。国俊の女婿で、のち正宗の門に入り正宗十哲の一人に挙げられる。生没年未詳。
らい‐くにとし【来国俊】
鎌倉後期の刀工。国行の子。来派の代表者。銘に「国俊」の2字のものと、来を冠した3字のものとがあって作風も異なるため、同人説・別人説の両方がある。生没年未詳。
らい‐くにみつ【来国光】
室町前期の刀工。国俊の子。国次と並ぶ来派の名工。生没年未詳。
らい‐くにゆき【来国行】
鎌倉中期の刀工。来派の事実上の始祖。生没年未詳。
らいこう【頼光】
⇒源頼光(みなもとのよりみつ)
らいごう【頼豪】
[1004〜1084]平安中期の天台宗の僧。伊賀守藤原有家の子。近江園城寺(おんじょうじ)の僧で白河天皇の皇子降誕を祈祷し、親王誕生の恩賞として園城寺戒壇の造立を願ったが、延暦寺の反対で許されず...
らい‐さんよう【頼山陽】
[1781〜1832]江戸後期の儒学者・歴史家・漢詩人。大坂の生まれ。春水の長男。名は襄(のぼる)。字(あざな)は子成。18歳のとき江戸に出て経学・国史を学び、のち京都に上って私塾を開き、梁川星...
らい‐しゅんすい【頼春水】
[1746〜1816]江戸後期の儒学者。安芸(あき)の人。山陽の父。杏坪の兄。通称、弥太郎。大坂で儒学を学び、のち広島藩儒官となった。著「芸備孝義伝」など。
ライス【Elmer Rice】
[1892〜1967]米国の劇作家。表現主義的手法によって機械文明を風刺した「計算器」、裏街の生活を写実的に描出した「街の風景」などで知られる。
らいでん‐ためえもん【雷電為右衛門】
[1767〜1825]江戸後期の力士。信濃の人。大関在位17年。32場所中、254勝10敗、勝率9割6分以上の驚異的な成績を残した。
ライト【Frank Lloyd Wright】
[1867〜1959]米国の建築家。環境と一体化した有機的建築を提唱し、現代建築に大きな影響を与える。東京の帝国ホテル(現存しない)、兵庫の山邑(やまむら)邸など日本にも作品を残した。 [補説]...
ライヒ【Wilhelm Reich】
[1897〜1957]オーストリア生まれの精神分析学者。1939年米国に亡命。性の解放を唱え、フロイトの精神分析とマルクス主義を統合、現代社会における疎外感の解消を訴えた。著「性格分析」「性の革...
ライプニッツ【Gottfried Wilhelm Leibniz】
[1646〜1716]ドイツの哲学者・数学者。法学・神学・力学・論理学など多分野にわたり業績をあげ、外交官・技術家としても活躍した。哲学では、モナド論・予定調和の説を展開。数学では、ニュートンと...
ライヘンバハ【Hans Reichenbach】
[1891〜1953]ドイツ生まれの哲学者。論理実証主義の運動と密接なかかわりをもち、米国に渡って科学哲学の発展に貢献、特に確率論理学を研究した。著「確率論」など。ライヘンバッハ。
ライマン【Benjamin Smith Lyman】
[1835〜1920]米国の地質学者。1872年(明治5)来日し、各地の油田や地質を調査し、鉱山の開発を指導。1881年(明治14)に帰国。
ライマン【Theodore Lyman】
[1874〜1954]米国の物理学者。分光学を研究、1906年に紫外線スペクトルのライマン系列を発見した。
らい‐みきさぶろう【頼三樹三郎】
[1825〜1859]江戸末期の尊攘派の志士。京都の人。山陽の三男。大坂・江戸に遊学、勤王の志を抱き、梁川星巌らと国事に奔走。安政の大獄で捕らえられ、刑死。
らいゆ【頼瑜】
[1226〜1304]鎌倉時代の真言宗の僧。紀伊の人。字(あざな)は俊音。中性院流の祖。大伝法院・密厳院を根来(ねごろ)に移し、新義真言宗の教義を確立。著「大疏愚草」など多数。
ライル【Martin Ryle】
[1918〜1984]英国の電波天文学者。電波干渉計を開発し、宇宙の観測可能領域の飛躍的拡大に貢献。1974年、ヒューイッシュとともにノーベル物理学賞受賞。
ラインハルト【Max Reinhardt】
[1873〜1943]オーストリア生まれの演出家。俳優から転じ、ベルリンのドイツ劇場支配人となり、古典から現代劇までを大胆な演出で上演、演出術の可能性を大きく広げた。