あいきょう-ちょうそう【哀矜懲創】
懲罰を与えるには、相手を思いやる情が必要であること。罰はその罪を悔い改め、人生に新たな道を開くためのもので、悲しみ哀れみの心をもって行うべきことをいう。▽「哀矜」は悲しみ哀れむこと。「懲創」はこらしめること。
あくいん-あっか【悪因悪果】
悪い行為には、必ず悪い結果や報いがあること。▽「悪因」は悪い結果をまねく原因。「悪果」は悪い報いや結果。人の行いの善悪に応じて、その報いが現れる(因果応報いんがおうほう)の悪いほうで、もと仏教の語。
あくじ-せんり【悪事千里】
悪い行為や評判は、またたくまに世間に知れ渡ること。▽一般には「悪事千里を行く」「悪事千里を走る」と用いる。
あくぼく-とうせん【悪木盗泉】
たとえ困窮しても、わずかな悪事にも身を近づけないたとえ。悪事に染まるのを戒める語。また、悪事に染まること。▽「悪木」は役に立たない木。また、人を傷つけたり悪臭のある木。「盗泉」は孔子がそこを通ったとき、のどが渇いていたが、その名が悪いといって飲まなかったといわれる泉の名。悪い木の陰で休んだり、悪泉の水を飲んだりしただけでも身が汚れるという意。「盗泉」の説話は『尸子しし』下に見える。
あんしん-りつめい【安心立命】
心を安らかにして身を天命にまかせ、どんなときにも動揺しないこと。人力のすべてを尽くして身を天命にまかせ、いかなるときも他のものに心を動かさないこと。▽初め儒学の語であった。仏教語では「あんじんりゅうめい」「あんじんりゅうみょう」と読む。「心」は「身」とも書く。また「立命安心りつめいあんしん」ともいう。
いちりゅう-まんばい【一粒万倍】
一粒の種子をまけば、実って万倍もの収穫を得ることができる意から、わずかなものから多くの利益があがるたとえ。また、わずかなものでも粗末にしてはいけないという戒め。また、一つの善行が多くのよい結果をもたらすたとえ。▽「稲」の異名。
いぶ-けいぶん【緯武経文】
学芸と武術の両方を重んじて、政治の土台にすること。文武の両道を兼ねた政治の理想的姿。武を横糸に文を縦糸にして、美しい布を織る意から。▽「緯」は横糸。「経」は縦糸。「武ぶを緯いにし文ぶんを経けいにす」と訓読する。「経文緯武けいぶんいぶ」ともいう。
いんかん-ふえん【殷鑑不遠】
身近な失敗例を自分の戒めとせよというたとえ。また、自分の戒めとなるものは、近くにあることのたとえ。▽「殷」は古代中国の国の名。「鑑」は鏡で、手本の意。中国の古代王朝は夏(商ともいう)から始まり、殷、周と続く。殷王朝の戒めとなるよい見本は遠くに求めなくても、すぐ前代の夏王朝の暴政による滅亡があるという意。戒めとなる失敗の前例は遠くに求めずとも、身近にあるからこれを戒めとせよということ。一般に「殷鑑いんかん遠とおからず」と訓読を用いる。
いんすい-しげん【飲水思源】
物事の基本を忘れないという戒めの語。また、他人から受けた恩を忘れてはいけないという戒めの語。水を飲むとき、その水源のことを思う意から。▽「思源」は源のことを考える意。「水みずを飲のみて源みなもとを思おもう」と訓読する。
いんにん-じちょう【隠忍自重】
怒りや苦しみなどをじっとこらえて、軽々しい行いをしないこと。また、そうするべきであるとする戒めの語。▽「隠忍」はつらさなどを表面に出さないで、じっと堪え忍ぶこと。ほんとうの気持ちを秘めて、こらえ忍ぶこと。「自重」は自分の行動を慎むこと。
うんぷ-てんぷ【運否天賦】
人の運命は天の定めによるということ。運不運は天命であること。転じて、運を天に任せること。▽「運否」は運不運、運のあるなしの意。「天賦」は天が与える、天が与えたものの意。「否」は「ぴ」とも読む。
おんこ-ちしん【温故知新】
前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること。古いものをたずね求めて新しい事柄を知る意から。▽「温」はたずね求める意。一説に、冷たいものをあたため直し味わう意とも。「故ふるきを温たずねて新あたらしきを知しる」または「故ふるきを温あたためて新あたらしきを知しる」と訓読する。
かけい-ずいけい【嫁鶏随鶏】
妻が夫に従うことのたとえ。妻が夫のもとで安んじているたとえ。雌のにわとりがおんどりに従う意から。▽「嫁鶏」はにわとりのめんどり。「嫁鶏かけい鶏けいに随したがう」と訓読する。
かでん-りか【瓜田李下】
人に疑念を抱かせるような言動は慎むべきであるという戒めの語。また、人に嫌疑を抱かせるような言動のたとえともなる。▽「瓜田」は瓜うりのはたけ。「李下」は李すももの木の下。「李下瓜田りかかでん」ともいう。
かんちゅう-ずいば【管仲随馬】
管仲が戦いの帰り道で道に迷ったとき、一度通った道を覚えているとされる老いた馬の知恵を借りようと、これを放ってそのあとに従い道を見出した故事。もと管仲のような知恵者ですら馬の知恵に頼るのに、人が聖人の知恵に頼らないことを戒めた語。のち転じて、先人の経験を尊重するたとえ。また、人には得意不得意があるたとえとして用いられることもある。
きゃっか-しょうこ【脚下照顧】
自分の足元をよくよく見よという意。もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。転じて、他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべきこと。また、足元に気をつけよの意で、身近なことに気をつけるべきことをいう。▽「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。「照顧」は反省し、よく考える、また、よくよく見る意。「照顧脚下しょうこきゃっか」ともいう。
きんか-ぎょくじょう【金科玉条】
黄金や珠玉のように善美を尽くした法律や規則の意。転じて、人が絶対的なよりどころとして守るべき規則や法律のこと。現在では「金科玉条のごとく守る」などと用いて融通のきかないたとえとして用いられることもある。▽「金」「玉」は貴重なもの・大切なもののたとえ。「科」「条」は法律やきまりなどの条文の意。
ぎじ-むこう【疑事無功】
疑いながら、またためらいながら事を行うようでは、成果は期待できないということ。一度決めたことは決然として断行すべきであるという戒めの語。▽「疑事ぎじ功こう無なし」と訓読する。
けいこう-ぎゅうご【鶏口牛後】
大きな集団や組織の末端にいるより、小さくてもよいから長となって重んじられるほうがよいということ。▽「寧むしろ鶏口と為なるも、牛後と為なる無なかれ」の略。「鶏口」は鶏の口(くちばし)。弱小なものの首長のたとえ。「牛後」は牛の尻。強大なものに隷属する者のたとえ。
こうと-さんくつ【狡兎三窟】
人が身の安全のために、たくさんの避難場所やさまざまな策を用意するたとえ。難を逃れるのに巧みなたとえ。また、ずる賢い者は用心深く、抜かりなく困難から逃れる手段を用意しているたとえ。すばしこいうさぎは三つの隠れ穴をもって危険から身を守る意から。▽「狡」はすばしこいこと。また、悪賢いこと。「窟」は穴。
しゃくきん-ぼうえん【釈近謀遠】
身近なところや今をおろそかにして、いたずらに遠いところや、はるか将来のことばかり考えること。実際的なことを考えず、迂遠うえんなことをするたとえ。また、身近なところや今を、よく考えるべきであるという戒めの語。▽「釈」は捨てる意。一般に「近ちかきを釈すてて遠とおきを謀はかる」と訓読を用いる。
そくてん-きょし【則天去私】
小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。▽「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。夏目漱石そうせきが晩年に理想とした境地を表した言葉で、宗教的な悟りを意味するとも、漱石の文学観とも解されている。「天てんに則のっとり私わたくしを去さる」と訓読する。
たぞう-こうぼう【多蔵厚亡】
財物をたくさん貯えることは、必ず巨大な損失につながる意。欲が深いと人間関係が駄目になって、やがては財物ばかりかすべてを失ってしまうというたとえ。▽「多蔵」はたくさん貯えること。「厚亡」は損失が大きい意。一般に「多おおく蔵ぞうすれば厚あつく亡うしなう」と訓読を用いる。
てんもう-かいかい【天網恢恢】
天が張りめぐらした網は広く、目が粗いようだが、悪人・悪事は決して取り逃がさないということ。天道は厳正であり、悪は早晩罰を受けるということで、悪事を戒める言葉。▽「恢恢」は広く大きいさま。「天網恢恢疎そにして失わず」「天網恢恢疎にして漏らさず」の略。
ふしゃく-しんみょう【不惜身命】
仏道のために身も命も惜しまないこと。身や命をささげて惜しまないこと。身を顧みないこと。▽仏教語。「不惜」は惜しまないこと。
ふだん-せっき【不断節季】
毎日節季のつもりで、地道でまじめに商売をしていれば、また、借金をせず地道に生活していれば、将来困ることはないということ。▽「不断」は日常、平生の意。「節季」は盆と暮れの年二回の決算期で、昔は借金もこのとき精算された。
めいしゃ-ふもん【迷者不問】
道に迷う人は、人に相談せずに、自分勝手に行動してしまうからだというたとえ。転じて、分からないことは、積極的に人に尋ねるべきだという戒め。▽「迷者」は、自分の行く道を分かっていない者の意。「迷える者は路みちを問わず」の略。
ゆだん-たいてき【油断大敵】
注意を少しでも怠れば、思わぬ失敗を招くから、十分に気をつけるべきであるという戒め。▽「油断」は気をゆるめること。油断は大失敗を招くから、どんなものより恐るべき敵として気をつけよ、という意。
らんこ-こうしん【覧古考新】
古い事柄を顧みて、新しい問題を考察すること。▽「覧古」は古い物事を深く思うこと。「古」は「故」とも書く。「古ふるきを覧み、新あたらしきを考かんがえる」と訓読する。