たいら‐の‐あつもり【平敦盛】
[1169〜1184]平安末期の武将。一ノ谷の戦いで熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれた。従五位下だったが官職がなかったため、無官の大夫とも。
たいら‐の‐かげきよ【平景清】
[?〜1196]平安末期の武将。伊勢の人。源義仲と戦い、のち、頼朝に降伏。断食して死んだという。伯父大日坊を殺したので悪七兵衛(あくしちびょうえ)とよばれ、勇名は謡曲・浄瑠璃などの素材となった。
たいら‐の‐かねもり【平兼盛】
[?〜990]平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。光孝天皇の玄孫。従五位上駿河守。家集に「兼盛集」がある。
たいら‐の‐きよもり【平清盛】
[1118〜1181]平安末期の武将。忠盛の長子。通称、平相国・入道相国。法号、浄海。保元の乱・平治の乱で躍進し、源氏の勢力を抑えて従一位太政大臣となった。対宋貿易を振興し、六波羅政権を樹立。...
たいら‐の‐くにか【平国香】
[?〜935]平安中期の武将。高望(たかもち)の子。初名、良望。常陸大掾(ひたちだいじょう)として関東に威を振るったが、甥(おい)の将門(まさかど)に殺された。
たいら‐の‐これひら【平維衡】
平安中期の武将。貞盛の子。伊勢平氏の祖。武勇にすぐれ、源頼信・平致頼(むねより)・藤原保昌とともに四天王と称された。常陸介(ひたちのすけ)・佐渡守などを歴任、のち伊勢守となった。生没年未詳。
たいら‐の‐これもち【平維茂】
平安中期の武将。叔父貞盛の養子となったが最年少で、順位が15番目にあたり、世に余五とよばれた。山城の鬼女退治など武勇伝説がある。余五将軍。生没年未詳。
たいら‐の‐これもり【平維盛】
[1158〜1184ころ]平安末期の武将。重盛の長子。源頼朝と富士川に対陣中、水鳥の羽音に驚いて敗走。のち、源義仲追討に進撃したが、砺波山(となみやま)で大敗。その後滝口入道のもとで出家し、那智...
たいら‐の‐さだもり【平貞盛】
平安中期の武将。国香の子。父の死後、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)と力を合わせて、父を殺した平将門(たいらのまさかど)を下総(しもうさ)の猿島(さしま)に討った。のち、鎮守府将軍。生没年未詳。
たいら‐の‐しげこ【平滋子】
建春門院(けんしゅんもんいん)の実名。
たいら‐の‐しげひら【平重衡】
[1157〜1185]平安末期の武将。清盛の子。源頼政を宇治川で破り、東大寺・興福寺を焼いた。のち、一ノ谷の戦いで敗れ、捕らえられて鎌倉へ送られたが、南都僧徒の要求により木津川で斬られた。
たいら‐の‐しげもり【平重盛】
[1138〜1179]平安末期の武将。清盛の長子。保元・平治の乱の功により左近衛大将・内大臣。清盛による後白河法皇幽閉を諫止(かんし)。病のため退官、父に先だって病死。謹直、武勇にすぐれた人物と...
たいら‐の‐たかもち【平高望】
桓武平氏の祖。桓武天皇の皇子葛原(かつらばら)親王の孫。寛平元年(889)平朝臣(たいらのあそん)の姓を受け、上総介(かずさのすけ)となり、現地に土着して関東に勢力を築いた。高望王。生没年未詳。
たいら‐の‐ただつね【平忠常】
[967〜1031]平安中期の武将。高望(たかもち)の曽孫。法名、常安。上総介(かずさのすけ)・武蔵押領使(むさしおうりょうし)を歴任。長元元年(1028)内乱を起こしたが、源頼信の討伐に降伏し...
たいら‐の‐ただのり【平忠度】
[1144〜1184]平安末期の武将・歌人。忠盛の子。清盛の弟。薩摩守(さつまのかみ)。藤原俊成に師事して和歌をよくし、平氏西走の途中、京都に引き返して師に詠草1巻を託した話は有名。一ノ谷の戦い...
たいら‐の‐ただまさ【平忠正】
[?〜1156]平安後期の武将。正盛の子。清盛の叔父。保元の乱で崇徳上皇方について敗れ、子らとともに処刑された。
たいら‐の‐ただもり【平忠盛】
[1096〜1153]平安末期の武将。正盛の子。清盛の父。白河・鳥羽上皇の信任が厚く、検非違使(けびいし)から刑部(ぎょうぶ)卿に累進、内昇殿を許された。日宋貿易により財力を得、公家的素養もあっ...
たいら‐の‐ときこ【平時子】
[?〜1185]平清盛の妻。重盛・宗盛・知盛・重衡・徳子の母。三后に准ぜられ、清盛没後、剃髪して二位の尼と称された。壇ノ浦の戦いで安徳天皇を抱いて入水。
たいら‐の‐ときただ【平時忠】
[1128〜1189]平安末期の公卿。時子・滋子の兄。検非違使(けびいし)別当・権大納言。平氏政権中の重要な地位を占めた。「平氏にあらざれば人にあらず」の言葉は有名。壇ノ浦の戦いの後捕らえられ、...
たいら‐の‐とくこ【平徳子】
建礼門院(けんれいもんいん)の実名。
たいら‐の‐とももり【平知盛】
[1152〜1185]平安末期の武将。清盛の四男。権中納言。源頼政を宇治で、源行家を播磨(はりま)室山で破った。一ノ谷の戦いで奮戦し、のち、壇ノ浦の戦いで入水。謡曲・浄瑠璃などに脚色される。
たいら‐の‐のりつね【平教経】
[1160〜1185]平安末期の武将。教盛の子。能登守。勇猛で、源義仲の軍を水島に破り、屋島の戦いでは佐藤継信を射殺。壇ノ浦の戦いで源義経を取り逃がして入水。
たいら‐の‐のりもり【平教盛】
[1128〜1185]平安末期の武将。忠盛の子。清盛の弟。保元・平治の乱の功で正三位権中納言となった。清盛の邸の門のわきに居を構えて、門脇(かどわき)殿とよばれた。源行家を播磨(はりま)に破った...
たいら‐の‐まさかど【平将門】
[?〜940]平安中期の武将。高望(たかもち)の孫。下総(しもうさ)を本拠として土着豪族の伝統的勢力を継承、伯父国香を殺し、関東の最強豪族となった。下総猿島(さしま)に王城を営み、文武百官を置...
たいら‐の‐まさこ【平政子】
⇒北条政子(ほうじょうまさこ)
たいら‐の‐まさもり【平正盛】
平安後期の武将。清盛の祖父。白河上皇に認められ、伊勢守・因幡(いなば)守・讃岐(さぬき)守などを歴任。伊勢平氏興隆の基を築いた。生没年未詳。
たいら‐の‐むねもり【平宗盛】
[1147〜1185]平安末期の武将。清盛の三男。従一位内大臣。源義仲の軍に追われ、安徳天皇を奉じて京を離れた。のち、義経の軍に一ノ谷の戦いで敗れ、壇ノ浦の戦いで大敗。捕らえられて近江(おうみ)...
たいら‐の‐やすより【平康頼】
平安末期、後白河院の近臣。鹿ヶ谷(ししがたに)の議に参加し、俊寛らとともに鬼界ヶ島に流され、翌年許されて帰り、仏門に入った。法名、性照。著「宝物集」。生没年未詳。
たいら‐の‐よしかど【平良門】
平将門(まさかど)の遺子として浄瑠璃・歌舞伎などに脚色されている人物。浄瑠璃「関八州繋馬(かんはっしゅうつなぎうま)」や、読本「善知鳥安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)」などに登場する。
たいら‐の‐よりもり【平頼盛】
[1131〜1186]平安末期の武将。忠盛の子。その住居を池殿といい、池の大納言と称した。母、池禅尼が源頼朝を救ったので、平氏敗北後も鎌倉に招かれて厚遇されたが、平氏滅亡後出家した。法名、重蓮。
タイラー【Edward Burnett Tylor】
[1832〜1917]英国の人類学者。初めて文化の概念を確立し、諸文化の比較研究を可能とした。また、宗教の起源をアニミズムであるとし、進化説を展開。人類学の父とよばれる。著「原始文化」「人類学」など。