あくにんしょうき【悪人正機】
阿弥陀仏あみだぶつの本願は、罪業ざいごうの深い悪人を救うことにあるとする説。他力を本願とする浄土真宗の親鸞しんらんの思想。▽「正機」は仏の教法を受けて、悟りを得る条件・資質を適切に備えていること。悪人こそが極楽に往生しうる者であるということ。
あんらくじょうど【安楽浄土】
仏教で、阿弥陀仏あみだぶつがいるという、苦しみや悩みのまったくない安楽な世界。一般には、すべてに満ち足りていることのたとえ。
いたんじゃせつ【異端邪説】
正統でないよこしまな思想・信仰・学説。▽「異端」は正統でなく、正道に反する教説。また思想・信仰・学説などで、多数の人に一般的に認められた正統に対して、特殊な少数の者に信じられ、主張されているものをいう。もとこの語は『論語ろんご』為政いせいから出たもの。「邪説」はよこしまな議論、不正な主張の意。「邪説異端じゃせついたん」ともいう。
いったいぶんしん【一体分身】
一つの物事をもとにして、そこから分かれ出たいくつかの物事。一つのものからいくつかに分かれること。また仏教で、諸仏菩薩しょぶつぼさつが衆生しゅじょうを救うために、さまざまに化身して出現すること。▽後者は「いったいふんじん」とも読む。
いんしじゃきょう【淫祠邪教】
邪神をまつるほこらと邪悪な宗教。人心を惑わすとされる異端の宗教。
うんすいあんぎゃ【雲水行脚】
僧が全国各地をめぐりながら修行すること。また一般に、人が行方を定めず思うままに旅すること。
えこうほつがん【回向発願】
仏教で、自己の積んだ功徳を他者にも振り向け、極楽往生を念願すること。
えんちょうこくい【円頂黒衣】
僧の姿かたちのこと。また、僧のこと。▽「円頂」は髪をそった丸い頭。「黒衣」は墨染めの法衣ほうえの意。
おうじょうのそかい【往生素懐】
仏教に帰依し、現世を去って極楽浄土に生まれ変わりたいという平素からの願い。▽「往生」は現世を去って、極楽浄土に生まれ変わること。「素懐」は平素からの思い・願い。
かいげんくよう【開眼供養】
新たに仏像や仏画を作ったとき、最後に目を入れて仏の魂を迎える法会ほうえ。▽「開眼」は仏眼を開く意。仏の魂を入れること。
かじきとう【加持祈禱】
病気や災難などから逃れるために、神や仏に祈ること。
きえさんぽう【帰依三宝】
仏門に入って教えに従うこと。仏教徒としての基本的条件。▽仏教語。「三宝」は仏と仏の教えとその教えを広める僧のこと。これを仏・法・僧という。「帰依」は仏の教えや有徳の高僧の威徳にすがって付き従うこと。「三宝さんぽうに帰依きえす」と訓読する。
きみょうちょうらい【帰命頂礼】
地に頭をつけて礼拝し、深く帰依きえの情をあらわすこと。心から仏に帰依すること。▽仏教語。「帰命」は仏の教えを深く信じ、身命を投げ出して帰依し従う厚い信心のこと。身命をささげて仏・法・僧の三法に帰依すること。「南無なむ」とほぼ同意。「頂礼」は頭を地につけてする礼。頭を地につけ尊者の足下を拝する。「五体投地ごたいとうち」ともいい、古代インドの最高の敬礼。
くうそくぜしき【空即是色】
固定的な実体がなく空くうであることで、はじめて現象界の万物が成立するということ。万物の真の姿は実体がなく空だが、その空は一方的にすべてを否定する虚無ではなく、それがそのままこの世に存在する物の姿でもある意。▽仏教語。「空」は固定的な実体のないこと。「色」はいろ、かたちあるもの。この世のすべての物質的存在のこと。
くんしゅさんもん【葷酒山門】
修行のじゃまになるので、臭いものや酒を寺院の中に持ち込んではいけないということ。
けっかふざ【結跏趺坐】
仏教の座法の一つ。左右の足の甲を反対の足のももの上に交差し、足の裏が上を向くように組む座法。特に禅宗では座禅の正しい姿勢としている。▽「跏」は足の裏。「趺」は足の甲。
ごくらくじょうど【極楽浄土】
阿弥陀仏あみだぶつがいるとされる苦しみのない安楽の世界。西方に十万億土の彼方にあり、まったく苦しみのない安楽な理想の世界。
ごしょうぼだい【後生菩提】
来世に極楽に生まれ変わること。また、来世に悟りをひらくこと。▽仏教語。「後生」は死んで後の世に生まれ変わること。来世。また、来世で極楽に生まれ変わること。「菩提」は悟り、悟りの境地。
ごたいとうち【五体投地】
両肘ひじ両膝ひざと頭を地面につけて行う拝礼。全身を地に投げ伏してうやうやしく行う最高の拝礼。▽仏教語。「五体」は頭と両手・両足の意。全身。
ごんぐじょうど【欣求浄土】
極楽浄土に往生することを心から願い求めること。▽仏教語。「欣求」は喜び求める、積極的に願い求めること。「浄土」は極楽浄土の略。
さいかいもくよく【斎戒沐浴】
神仏に祈ったり神聖な仕事に従事したりする前に、飲食や行動を慎み、水を浴びて心身を清めること。▽「斎戒」は物忌みをすること。神をまつるときなどに、心身を清め汚れを去ること。「沐浴」は髪やからだを洗い清めること。「沐浴斎戒もくよくさいかい」ともいう。
さいかきっすい【採菓汲水】
厳しい仏道修行のたとえ。仏に供えるため、木の実を採り、花を摘み、水を汲くむ意から。▽仏教語。「菓」は木の実。「菓かを採とり水みずを汲くむ」と訓読する。「菓」は「果」「花」とも書き、「汲」は「ぎっ」「きゅう」とも読む。
さいせいいっち【祭政一致】
祭事と政治とが一体化していること。宗教的な主宰者と政治の主権者とが一致していること。また、そうした考えやそのような政治形態。古代社会に多い。▽「祭政」は祭礼を行うことと政治をすること。「政教」と同義。「一致」は一つになること。
さいほうじょうど【西方浄土】
人間界から十万億土離れた西のかなたにあるという、煩悩ぼんのうのない世界。安寧あんねいと喜びに満ちた極楽ごくらく。
さんきんさんよく【三釁三浴】
何度もからだに香を塗ってよい香りをつけ、何度もからだを洗い清めること。人を待つときなど相手を大切に思う情をいう。▽「三」は何度もの意。「釁」は香料をからだに塗ること。「浴」は湯水でからだを洗うこと。湯浴み。
さんみいったい【三位一体】
キリスト教で、父(神)と子(キリスト)と聖霊は、一つの神が三つの姿となって現れたものであるという考え方。転じて、三つのものが、一つのものの三つの側面であること。三つの別々のものが緊密に結びつくこと。また、三者が心を合わせて一つになること。
しかんたざ【只管打坐】
余念を交えず、ただひたすら座禅すること。▽仏教、特に禅宗の語。「只管」はひたすら、ただ一筋に一つのことに専念すること。「打坐」は座ること、座禅をすること。「打」は助字。「只」は「祇」とも書く。
しきそくぜくう【色即是空】
現世に存在するあらゆる事物や現象はすべて実体ではなく、空無であるということ。▽仏教語。「色」はこの世のすべての事物や現象。「空」は固定的な実体がなく空無であること。
しょうじんけっさい【精進潔斎】
酒や肉食をせず、ひたすら修行に専念すること。飲食を慎んで、不浄や汚れを寄せ付けずに、心身を清らかにすること。「物忌み」をすること。
しんじんけつじょう【信心決定】
仏教のことばで、阿弥陀仏の救済を信じる心が、堅く定まっていること。
しんぶつこんこう【神仏混淆】
神道と仏教の二つの信仰を折衷し、融合・調和していること。日本の神と仏教の仏菩薩は本来同体であるとする考えに基づき、両者を同じ場所にまつり、信仰すること。神仏習合。
じねんほうに【自然法爾】
浄土真宗じょうどしんしゅうで、自力をすて、如来にょらいの絶対他力にまかせきること。人為を捨て、ありのままにまかせること。▽仏教語。「自然」はおのずからそうであること。「法爾」はそれ自身の法則にのっとって、そのようになっていること。「法爾自然ほうにじねん」ともいう。
じゅうまんおくど【十万億土】
この世から、阿弥陀仏あみだぶつがいるという極楽浄土に至るまでの間に、無数にあるという仏土。転じて、極楽浄土のこと。非常に離れている意味にも用いられる。▽仏教語。「億」は非常に大きな単位の意で、「十万億土」は非常に多いという意味。
ずいきかつごう【随喜渇仰】
心から喜んで仏道に帰依きえし、深く仏を信仰すること。また、深く物事に打ち込み熱中すること。▽「随喜」は心から喜び、ありがたく感じて仏に帰依すること。「渇仰」はのどが渇いて水を欲しがるように、仏道を深く信仰すること。
ぜんなんぜんにょ【善男善女】
仏道の教えに帰依した人々。後に広く仏教を信仰する人々のことを指す。また、寺院に参詣したり霊場を巡礼したりする人を指す語。▽仏教語。良家の男子・女子という意味の梵語ぼんごの意訳。彼らは前世あるいは今世に善行を積んだので、在家の身で仏法を聞くことができたとされる。
ていはつらくしょく【剃髪落飾】
貴人が髪をそり、出家すること。
てきすいてきとう【滴水嫡凍】
一瞬の間も気をゆるめることなく、仏道修行に励むこと。
てんしんちぎ【天神地祇】
天あまつ神と国つ神。天地の神々、すべての神々の意。▽「地祇」は地の神・国土の神の意。「神」は「じん」とも読む。
てんそんこうりん【天孫降臨】
記紀きき(『古事記』と『日本書紀』)の神話の中で、孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊あまつひこひこほににぎのみことが国土平定のため、天照大神あまてらすおおみかみの命を受けて、高天原たかまがはらから日向国ひゅうがのくに(今の宮崎県)の高千穂たかちほ峰に天下ったこと。▽「天孫」は天照大神の孫の瓊瓊杵尊のこと。「降臨」は神仏が天界から地上に天下ること。「降」は「ごう」とも読む。
てんちしんめい【天地神明】
天と地のあらゆる神々のこと。▽「明」は神のことで、「神明」は神々の意。
なむさんぼう【南無三宝】
仏に帰依きえを誓って、救いを求めること。また、突然起こったことに驚いたり、しくじったりしたときに発する言葉。「南無三なむさん」ともいう。▽前者の意は仏教語。「南無」は経典きょうてんや仏などの名の前につけて、それに対する絶対的帰依を誓う言葉。「三宝」は仏と仏の教えと教えを広める僧のことで、これを仏・法・僧という。救いを求めることから後者の意味が加わった。
なんぎょうくぎょう【難行苦行】
さまざまな苦労・苦難にたえる修行のこと。転じて、ひどく苦労をすること。▽仏教語。「行」はもともと仏教の修行のこと。
にくじきさいたい【肉食妻帯】
僧侶そうりょが肉を食べ、妻をめとること。▽僧侶は殺生をしてはならず、禁欲生活を送るべきものであるという考え方から、かつて浄土真宗以外の宗派ではこれを禁じていた。「食」は「しょく」とも読む。
にょにんきんせい【女人禁制】
特定の場所や行事に、女性の立ち入りや参加を禁止すること。▽かつては女性は汚れが多く、修行の妨げになると考えられていた。昔の高野山などが有名。これに対し、女性の参詣を許した場所に「女人~」の俗称がつくこともある(例―女人高野にょにんこうや、奈良県室生むろう寺)。「制」は「ぜい」とも読む。
ねんぶつざんまい【念仏三昧】
心を静かにして、一心に仏を思い浮かべること。また、それによって得られる心の安らぎ。さらに、ひたすら念仏(南無阿弥陀仏なむあみだぶつ)を唱え、それにより雑念妄想を取り払うこと。▽仏教語。「念仏」は、仏を思い浮かべること。また、南無阿弥陀仏を唱えて、阿弥陀仏を思うこと。「三昧」は、何かに集中することによって、心が安定し動かされないこと。
はいぶつきしゃく【廃仏毀釈】
仏教排斥のための運動のこと。仏法を廃し、釈迦しゃかの教えを放棄する意。▽「釈」は釈迦のこと。「毀」は壊す、悪口をいう意。中国では南北朝時代から宋そう代の直前までに起こった四回の廃仏令「三武一宗の法難」、日本では明治政府の神仏分離令に基づく寺社排斥運動が有名。「仏ほとけを廃はいして釈しゃくを毀そしる」と訓読する。「排仏棄釈」とも書く。
ふしゃくしんみょう【不惜身命】
仏道のために身も命も惜しまないこと。身や命をささげて惜しまないこと。身を顧みないこと。▽仏教語。「不惜」は惜しまないこと。
ほんちすいじゃく【本地垂迹】
日本の神は、インドの仏や菩薩ぼさつ本体が人を救うため、神の姿を借りて現れたということ。また、そのように仏教と神道とを融合させた考え方を指す場合もある。▽仏教語。「本地」は仏・菩薩の本来の姿のこと。「垂迹」は仏が借りたいろいろな神の意。「地」は「じ」とも読む。
めんぺきくねん【面壁九年】
一つのことに忍耐強く専念して、やり遂げることのたとえ。長い間わき目もふらずに努力を続けることのたとえ。▽「面壁」は壁に向かって座禅を組むこと。「九年面壁くねんめんぺき」ともいう。
らっけいくよう【落慶供養】
寺院・神社などの新築・改築の工事が完了したことを祝って行なう儀式。
れいにくいっち【霊肉一致】
霊魂も肉体も、ともに大切であるとするキリスト教の思想。