かけいやぼく【家鶏野鶩】
古いものを嫌い遠ざけて、珍しく新しいものを好むたとえ。また、身近なものや良いものを嫌い、遠くにあるものや悪いものを好むたとえ。また、良い筆跡と悪い筆跡のたとえ。家に飼っているにわとりを嫌って、野生のあひるを好む意。▽「野鶩」は野生のあひる。「家鶏」は身近なもの、良いもの、古いもののたとえ。「野鶩」は遠くのよそにあるもの、悪いもの、新しいもののたとえ。「家鶏を厭いとい(賤いやしみ)、野鶩を愛す」の略。また「野鶩」は「野雉やち」(野生のきじ)ともいう。
かこうりゅうりょく【花紅柳緑】
春の美しい景色の形容。また、色とりどりの華やかな装いの形容。また、人手を加えていない自然のままの美しさのこと。花は紅に柳は緑の意。▽「柳緑花紅りゅうりょくかこう」ともいう。
かざんたいれい【河山帯礪】
永久に変わらない堅い誓約のたとえ。また、国が永遠に栄え安泰であるたとえ。たとえ広い黄河が帯のように細くなり、高い泰山たいざんがすりへって砥石といしのように平らになるようなことがあっても、永久に変わることはない意から。▽「河」は黄河のこと。「山」は泰山の意。「礪」は砥石の意。
かしのへき【和氏之璧】
この世にめったにないほどの宝物のこと。
かしょうひょうか【過小評価】
その実力や価値などを実質以下に判断すること。みくびること。
かしょくのてん【華燭之典】
結婚式のこと。
かしょのゆめ【華胥之夢】
昼寝のこと。また、よい夢のこと。
かしょばんきん【家書万金】
家族からの手紙は、何よりもうれしいということ。
かしんれいげつ【嘉辰令月】
めでたい月日のこと。よい日とよい月の意。▽「嘉」も「令」も、よい意。「辰」は日のこと。
かじきとう【加持祈禱】
病気や災難などから逃れるために、神や仏に祈ること。
かじょうさはん【家常茶飯】
⇒ にちじょうさはん(日常茶飯)
かじょうぼうえい【過剰防衛】
自分の身を守るために、正当として許される一定の限度を超えて反撃すること。▽「過剰」は必要以上に多くあること。
かじんさいし【佳人才子】
⇒ さいしかじん(才子佳人)
かじんはくめい【佳人薄命】
美人はとかく薄幸であること。美人は美しく生まれついたため数奇な運命にあって、とかく幸せな一生が送れないものであること。また、美人はとかく短命であること。立派な人について言う場合もある。▽「薄命」は不運のこと。運命に恵まれないこと。また、短命の意にも用いる。
かせいもうこ【苛政猛虎】
民衆にとって過酷な政治は人食い虎よりももっと恐ろしいということ。
かたくのきょう【火宅之境】
火事になった家。煩悩ぼんのう(悩み)に満ちたこの世のたとえ。
かだいひょうか【過大評価】
物事や人物の実力や価値などを実質以上に大きく評価すること。
かちゅうぎひょう【夏虫疑氷】
見聞が狭いことのたとえ。見聞の狭い人は広い世界を理解しえないたとえ。見識の狭い人が自分の知らないことを信じようとしないこと。冬を知らない夏の虫は、冬に氷というものがあるのを信じない意から。▽見識や見聞が狭い人を卑しめていう語。「氷」は「冰」とも書く。一般に「夏虫かちゅう、氷こおりを疑うたがう」と訓読を用いる。
かちゅうのくり【火中之栗】
他人の利益のために危険をおかして、ひどい目にあうことのたとえ。
かちょうげっせき【花朝月夕】
春秋のさかりの気候のよい時のこと。陰暦二月中旬と八月中旬の春秋のさかりの時節。また、春秋の季節の楽しいひとときをいう。花の咲く春の朝と名月の照る秋の夕べ、また、それを楽しみめでる意。のちに陰暦二月十五日を花朝、八月十五日を月夕というようになった。
かちょうふうえい【花鳥諷詠】
四季の移り変わりによる自然界や人間界のあらゆる現象を、そのまま客観的にうたうべきであるとする俳句理念。▽高浜虚子たかはまきょしが提唱し、ホトトギス派の基本理念となった。「花鳥」は自然のたとえ。「諷詠」は詩歌をうたい作ること。
かちょうふうげつ【花鳥風月】
自然の美しい景色。また、自然の風物を題材とした詩歌や絵画などをたしなむ風流にもいう。
かっかそうよう【隔靴掻痒】
痒かゆいところに手が届かないように、はがゆくもどかしいこと。思うようにいかず、じれったいこと。物事の核心や急所に触れず、もどかしいこと。靴を隔てて痒いところをかく意から。▽「掻」はかく、ひっかく。「痒」はかゆい。「痒」は「癢」とも書く。「靴くつを隔へだてて痒かゆきを掻かく」と訓読する。
かっかそうよう【隔靴搔痒】
物事が思うようにならず、もどかしいこと。また、物事の核心や急所に触れることができずに、はがゆくじれったいこと。
かっきんせいれい【恪勤精励】
⇒ せいれいかっきん(精励恪勤)
かっこふばつ【確固不抜】
意志や精神などがしっかりとしていて動じないさま。また、固く定まって変えることができないさま。▽「確乎」はしっかりとしたさま。「不抜」は移せない、動かせない意。「乎」は「固」とも書く。
かっこふばつ【確乎不抜】
信念や意志がしっかりしていて、物事に動じないこと。
かっさつじざい【活殺自在】
自分の思い通りに扱うさま。生かすも殺すもこちらの思うがままである意から。▽「活殺」は生かすことと殺すこと。「自在」は自分の思いのままである意。
かったつじざい【闊達自在】
心が広く小事にこだわらないさま。思いのままにのびのびしているさま。▽「闊達」は度量の大きく細事にこだわらないこと。「自在」は何の束縛もなく思いのままなこと。
かってきまま【勝手気儘】
[名・形動]他人のことは気にせず、自分のしたいように行動すること。また、そのさま。「—な一人暮らし」「—に振る舞う」
かっぱくせいどん【活剝生呑】
⇒ せいどんかっぱく(生呑活剝)
かっぱつはっち【活溌溌地】
生き生きとして勢いのあるさま。意気盛んで、元気のあるさま。▽「活溌溌」は魚がぴちぴちと勢いよくはね上がるさま。「地」は助字。「かっぱつぱっち」「かつはつはっち」とも読む。また「活撥撥地」とも書く。
かっぱつはっち【活潑潑地】
勢いがあるさま。生き生きとして元気盛んなさま。魚が元気に跳ねる意から。
かっぱつはっち【活発発地】
[形動][文][ナリ]精神・気力が充実し勢いのよいさま。活気があふれているさま。「人物は—に躍動する許(ばか)りだ」〈漱石・三四郎〉
かつぜんたいご【豁然大悟】
疑い迷っていたことが、からっと開け解けて真理を悟ること。▽「豁然」は、からっと開けるさま。「大悟」は大いに悟る、真理を悟ること。「豁然」は仏教用法のとき「かつねん」とも読む。「大」は「だい」とも読む。
かつもくそうたい【刮目相待】
人や物事の成長や進歩を待ち望むこと。また、今までとは違った目で相手を見ること。
かでんりか【瓜田李下】
人に疑念を抱かせるような言動は慎むべきであるという戒めの語。また、人に嫌疑を抱かせるような言動のたとえともなる。▽「瓜田」は瓜うりのはたけ。「李下」は李すももの木の下。「李下瓜田りかかでん」ともいう。
かとうきょうそう【過当競争】
適切な範囲を超えて、激しく行われる競争。
かとうせいじ【寡頭政治】
少数の者が権力をにぎって行う独裁的な政治。▽「寡」は少ない意。「寡頭」は少人数の支配者をいう。
かとしへき【家徒四壁】
きわめて貧しいことのたとえ。もとは家の中に家財がなく、ただ四方の壁だけが立っている意。▽「徒」は「ただ」「…だけ」の意。「家いえ、徒ただ四壁しへきのみ」と訓読する。
かとらくしょ【河図洛書】
中国古代伝説上の図や文字の「河図」「洛書」。▽「河図」は伏羲ふっきの世に、黄河から現れた竜馬の背のうず巻いた毛の形を写したという図のこと。易えきの八卦はっかの基になったとされる。「洛書」は夏の禹王うおうが洪水を治めたとき、洛水らくすいという川から現れた神亀の背の文字を写したとされる図。『書経しょきょう』洪範篇こうはんへんのもとになったとされる。転じて、得ることが難しい図書のたとえともなる。「河」は黄河、「洛」は洛水という川。
かふくいふく【禍福倚伏】
福の中に禍が潜み、禍の中に福が潜むように、災いと幸せは順繰りにおとずれるものだということ。▽「禍福」は災いと幸い。「倚伏」は禍が福のもとになったり、福が禍のもとになったり、禍福が互いに因果的に生じること。「倚」は寄り添う、また、ちなむ、原因となる意。「伏」は潜む意。
かふくきゅうぼく【禍福糾纆】
災いと幸せは、より合わせた縄のように互い違いにやって来て、変転がきわまりないということ。
かふくとくそう【禍福得喪】
災い、幸い、成功、失敗。災いに遭ったり、幸いに出会ったり、成功し出世して地位を得たり、地位を失ったりすること。▽「得喪」は成功と失敗。また、出世して高い地位を得ることと地位を失うこと。
かぶおんぎょく【歌舞音曲】
歌と舞踏と音楽。
かぶんしょうけん【寡聞少見】
見識が狭いこと。また、世間知らずなこと。自分を謙遜けんそんするときによく用いる。▽「寡」は少ない意。「寡聞」は見聞の狭いこと。見聞きしてきたものが少ないということ。
からすのしゆう【烏之雌雄】
物事の是非や善悪などがまぎらわしくて、判断しにくいことのたとえ。
かりょうじょうたい【下陵上替】
世の中が大いに乱れた様子。下克上げこくじょうが行われている世をいう。下の者が上をしのいで、上の者が衰える意。▽「陵」はしのぐ意。「替」はすたれる、衰えること。「下しも陵しのぎ上かみ替すたる」と訓読する。
かりょうのわかれ【河梁之別】
送別のこと。親しい人を送るときの別れがたい気持ちのこと。もとは人を見送って橋の上で別れる意。
かりょうびんが【迦陵頻伽】
美しい声のたとえ。また、声の非常に美しいもののたとえ。あるいはヒマラヤ山中にいる想像上の鳥の名で、まだ殻にあるときに美しい声で鳴くともいい、極楽浄土にすみ、比類なき美声で鳴く想像上の鳥ともいう。浄土曼陀羅じょうどまんだらの絵などでは上半身は美女、下半身は鳥の姿で描かれている。▽仏教語。梵語ぼんごkalavinkaの音写で、仏典では「好声鳥」「逸音鳥」「妙声鳥」などと訳されており、この鳥の比類のない美声を仏の声にたとえている。